先日参加させて頂いたひまわり甲子園で、最後の総評で中村文昭さんがお話してくれた、中国版のTwitterで多くの人たちにシェアされたお話が印象的でした。
その内容とは、中国から日本へ旅行に来た人が、母国の人達につぶやいた内容で、文昭さんの知り合いの中国人から教えてもらったお話でした。
我々中国の人達はなるべく早く日本に行くべきです。なぜなら日本には、私達中国人が見習わなければならない事が沢山ありましたと言う内容だったそうです。
先ず、日本に来て驚くのは道にゴミがひとつも落ちていないと言うことだったそうです。
母国中国では、ゴミを捨てる人の方が拾う人の数より圧倒的に多い。だから街中の道路にはゴミが散乱しています。
母国にいる間は、それが当たり前だからそこに気がつくこともなかった。でも日本に来てみたらそれが不自然な事に気づきました。圧倒的にゴミを捨てる人の方が少なかったのです。
このまま経済が発展して行っても、今のままの状態なら、我々中国はいつまで経っても国際社会の一員にはなれないのではないか?
そして一番びっくりしたのは、日本のお店です。旅行中色々な場所でコンビニを利用しました。もちろん何か必要な物を買ったりもしたし、何気なくお店に入るから買わない事だってある。何も買わないでコンビニを出る時、それはどこのお店でも同じように、従業員の人達が「ありがとうございました」と店を出る私に頭を下げるんです。
驚きました。きっとあの店が特別なんじゃないかって思って、意識して色々なコンビニに行ったけど、どのお店でも何も買っていない私にやっぱり頭を深々と下げるんです。私と同じように何も買わないで出ていく日本人の人達も居ましたが、同じように店員の人達はありがとうございましたと頭を下げます。でもその事に日本人のお客様は誰も驚いていないんです。
きっと日本では、商品を購入しようがしまいが、お店に来てくれた人たちは、皆さんお客様なんだとわかったんです。“わざわざ来てくださってありがとう”これこそが日本のおもてなしなんだと気づいたのです。
だからこそ、私達中国人は日本に行って感じてほしい。今こそ日本に行きましょうと言う内容だったそうです。
それを聞いて文昭さんは、今の日本にはどこに行っても中国をはじめ海外からの観光客が沢山来てくれる。もしかしたら、このツイートを見て日本に行ってみようって思ってくれてるかもしれない。
そんな中、日本中で観光客が急増してきて、その前までは、おらが村に観光客をとあの手この手で誘致して、いざ観光客が増えだすと、そこに住んでる人達から文句が出て、観光客に冷たく接してしまう。
これでは、せっかくツイッターを見て期待してくれた人達に残念な印象を与えてしまうのではないか?
だったら、今こそ僕らがスマホに翻訳ソフトみたいなんを入れといて、街で困ってる観光客の人達に親切にしてあげることができたら、やっぱり日本に来てよかったなって思ってもらえるんじゃないか。そんなお話でした。
僕はそれを聞いて、自分が台湾に行った時の事を思い出しました。
街で道に迷っていた時、飲食店でメニュー見て何が書いてあるかわからなかった時、あなた達は日本から来たの?って日本語で声を掛けてくれて、日本人であるってことだけで、どこに行っても親切にしてくれました。
後でわかった事ですが、僕が親切にしてもらえたのは、ちょうど僕から3代ぐらい前の日本人の素晴らしい人達が、台湾でしていた事が台湾の人達に伝わり、それが回り回って日本人だからってだけで僕に親切にしてくれたんです。
福島の“ぼんさいやあべ”さんじゃないけど、僕らの親切は孫の代に繋がる親切だと考えたらわくわくしませんか?
僕らの孫の代に国どうしが争い、その争いに自分の孫が行かざるおえなくなり、結果殺し合いをしなくてはいけない未来と。
たった今の僕らが行う小さな親切が、回り回って、やっぱり日本は素晴らしかったよって語り継がれ、孫の代では仲良くなって、平和で楽しい関係になれるかもしれないそんな未来。
僕らはどっちを選択したいのか?
やっぱり僕は、後者を選択したいと思います。
今は国同士があんまり仲良くなくても、僕らが今、日本に来てくれている、世界中の人達に親切にしていたら、きっと僕らの孫やその子の代には、仲良くなって、平和な世界を残したいと思います。
文昭さんの話を聞いて、大げさかもしれないけど、今、僕らが行う親切やおもてなしは、孫の未来を明るくすると信じて、僕もこれから観光客の人達に親切にしてみようと思いました。
Category Archives: ブログ
「孫の代の仕事をしています」
皆さんは自分のお仕事をしている時、どんな気持ちで仕事をしていますか?
「コレをやり終えれば、〇〇円になるぞ」
「一所懸命やることでお客様を幸せにできるぞ」
「これで私の評価が上がるな」
「この作業で日本が、いや世界が変わっちゃうかも〜」
色々とそのお仕事の種類や、やる内容でも変わるのかもしれないですよね。
実は先日連れてって頂いた、盆栽を売らない盆栽屋さん『ぼんさいや あべ』さんで衝撃的な事を教わりました。
ぼんさいや あべさんは、初代倉吉さんと言う方が始められたのですが、元々皇居での剪定もしていた凄腕の盆栽作家でした。
昭和初期、倉吉さんはこれから世の中が安定に向かい、人々の暮らしにも余裕ができ、趣味の時間も出来て盆栽ブームを迎えるに違いないと思い、福島で“ぼんさいや あべ”を始めます。
倉吉さんの思った通りブームが来るのですが、ここで倉吉さんが、あることを危惧していました。
それまでの盆栽は山からある程度盆栽になりそうなものを選んで根こそぎ採ってきたものから作るのが主流です。
ブームになって盆栽が流行れば流行るほど、山は荒れ自然が壊れていく、何十年後にはこの山には五葉松がなくなってしまうんじゃないかと……。
そこで倉吉さんは、吾妻山の五葉松の種を頂き、種から育てると言う方法を考えたのです。ある意味、これは時間もかかるし手間もかかります。それでも自分の庭に種から五葉松を育て始めます。そしてその技術を惜しみなく地域の人達に広め、地域には沢山の盆栽屋さんが生まれたのです。
そして今は、初代から三代目と続く盆栽やさんになりました。現在では世界中から、初代倉吉さんから継承された五葉松の盆栽を視察しに多くの人が訪れます。休みの日には、観光バスが何台も来るほどだそうです。
中には、大金持ちの人達が、紙袋に札束を沢山忍ばせ、ここにある金であべさんの盆栽を譲って欲しいと懇願される人達も後を立たないそうです。
しかし、ここにあるのは先代が心を込めて手間暇惜しまず手をかけて育て、譲り受けたものなので、一切お譲りすることはできませんと断ってしまうそうです。
ではなぜ世界中の人達を魅了し続けるのか?
盆栽は基本的に三角や丸い整った形に作るのが一般的だそうです。しかし、ぼんさいや あべの盆栽が三代に渡って目指しているのは、裏にある吾妻山の山に溶け込めるほどに自然に近い姿の盆栽なのです。
二代目の健一さんが東京の盆栽の展示会に行った時、形よく綺麗に整えられ立ち並ぶ盆栽に衝撃を受けます。日本最高峰の展示会で見た盆栽の中で、自然を切り取ったような作風はぼんさいや あべのものだけでした。まだ若かった健一さんは、そこで見た綺麗に整えられた松を真似てハサミを入れ盆栽を作るのですが、その仕事ぶりを見た先代から激怒されるのです。
「盆栽を見て盆栽を作るな‼ 俺たちには恵まれた事に吾妻山がすぐ近くにある。こんなに恵まれた環境においてお前は何をしてるんだ」
盆栽は自然に学ぶもの。人の真似をして作るものではない。
ぼんさいや あべが目指すのは、樹齢何百年の吾妻山の松を人間の手をかけて鉢の上に表現する事。風雪にさらされ、雨に打たれ、自然の厳しい環境の中でたくましく育っていく。その姿に人は感動を覚えるわけです。
そんなスゴいぼんさいや あべさんに訪問させて頂いた時の事です。小さな小屋の中で、二代目の健一さんと、その奥様、そして三代目の大樹さんが、小さな鉢にまだ小さな松を植え、針金を巻いて居ました。
「香取さん、僕らは何をしてると思いますか?」
僕には何をしているのかわからず、「う〜ん」と黙っていると、三代目の大樹さんから言われたのは、
「今、僕がやっているこの仕事は、孫の代の仕事なんですよ」と笑顔でおっしゃったんです。
一瞬意味がわからなかったのですが、よくよく考えてみると、なるほどぉと感心してしまいました。
あべさんの盆栽は、種から育てるんです。今、目の前で鉢に植えられている小さな松ですが、そこまでに育つのに少なくて3年、長くて5年かかっているわけです。
それが大きく盆栽として姿を表すのには、40年、50年先になるわけです。だから今やっているのは、孫の代に繋がる為の仕事だったんです。
僕はそれを聞いて、自分の仕事に当てはめてみました。
今やらせて頂いている講演は、孫の代に繋がるように本気でやれているのか? 孫の代に繋がる事を考えてセミナーをしているのか?
もしそうだとしたら、もっとやり方があるんじゃないか? もっとぶっ倒れるぐらい一生懸命にやれるんじゃないか?
振り返ると、僕は目の前の事をただただこなしているだけだったんじゃないかと深く反省しました。
自分の孫の代に繋がる仕事。
そんな風に思って本気で仕事をしていこうと決めました。
皆さんのお仕事は、孫の代のお仕事になっていますか?
伝統の伝承、ホントにすごいと思いました‼
ひまわり甲子園 2019
昨日は、今年で8年目を迎える福島ひまわり里親プロジェクトの年一イベントひまわり甲子園の1日目でした。
この福島ひまわり里親プロジェクトは、明日で8年目を迎える東日本大震災の後、福島の僕の仲間達が立ち上げた、福島を元気にしようと言うプロジェクトです。
福島は皆さんがご存知の通り、福島第一原発が爆発して、目に見えない放射能と言うもんが降ってしまい、8年経ってだいぶ規制は解除されたものの、まだちょっと帰れない場所もあり、当時は大混乱でした。
そんな中、ひまわりは除染効果があるって話を聞いて、それならひまわりの種が沢山必要になる。また同時に障がいを持っている方達が働く作業所では、福島県産の食材(こんにゃく)を作って販売していたけど、売れなくなり仕事がなくなってしまった所もある。
ひまわりはひと粒の種から、太陽に向かって真っ直ぐに背を伸ばし、夏には大きな花を咲かせて、秋にはひとつのひまわりから沢山の種が取れる。
そうか、作業所の人達にお仕事として、種の袋詰をしてもらい、その種を全国で販売しよう。そして、それぞれの土地で花を咲かせてもらい取れた種を福島にお繰り返してもらって、その種で福島中をひまわりでいっぱいにして除染に役立てれば、一石二鳥だろうと始めたのが、ひまわりの種の里親さんになってもらう、福島ひまわり里親プロジェクトなんです。
はじめた当初は様々な問題がありました。
福島のひまわり種なんて、日本全国に放射能を撒き散らす気か⁉(福島産ではないのですが)とかのお叱りを受けたり、なかでも一番ヤバかったのは、はじめて1ヶ月ぐらいして、種も全国で沢山の人達が買ってくれて、起動に乗り始めた矢先、農水省からひまわりに除染効果は科学的根拠がないと発表された時でした。
プロジェクトの根幹を揺るがすこの発表から、メンバー全員が、終わったと思いました。払い戻しも誠心誠意させて頂いて、このプロジェクトをおしまいにするしかない。作業所の皆にも、せっかくお給料が払えたのに……。申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
しかし、全国の里親さんからの反応は、真逆のものでした。
科学的根拠なんてどうでもいい。
私はこの種で必ずひまわりを咲かせて、種を送ります。だからプロジェクトを止めないで欲しい。除染どうこうじゃなく、この種は私達県外の人間と福島を繋ぐ、“絆”の種なんです。だから続けて欲しい。必ず送った種で、来年福島をひまわりでいっぱいにしてください。
そんな励ましの声ばかりでした。
プロジェクトを始めた、メンバーが気づかなかった、この絆と言う繋がり。ホントに嬉しかったそうです。
そんなプロジェクトを8年間続ける中で、全国で沢山のキセキのような物語が生まれました。その発表会が昨日のひまわり甲子園でした。
その中で、沢山の感動を頂いたので、ひとつのエピソードを紹介しますね。
それは長野県にある里親の「養護老人ホーム尚和寮」さんでの出来事です。
養護老人ホームと言う場所には、精神的に心に病を抱えていて、自宅では生活が難しいお年寄りの方がいらっしゃる場所だそうです。
そこにいらっしゃったのが、旦那様に先立たれ、何をするにも前向きにはなれずに、自殺願望の強いAさんでした。
事あるごとに、「死にたい」「死んで楽になりたい」「死なせて欲しい」と繰り返すAさん……。
そんなAさんでしたが、ひまわりをきっかけに変わって行きます。
職員の方が見つけてくれた、ひまわり里親プロジェクト。このホームで、ひまわり咲かせてみようと、一人で雑草だらけの中庭の場所を耕し始めました。
するとAさんが、何してるの?
と、興味を持ってくれたのです。
ここにひまわりの種を植えて、花を咲かせて、秋にはその花から沢山種をとって、福島に送り返して、福島でまたひまわりを咲かせてらうのよ。Aさんも一緒にやらない?
そこから、Aさんはその職員の人と一緒に、「この雑草を抜いていいの?」
「そうそう、こっちも抜こうね」
って言いながら、毎日ひまわりが咲くのを楽しみにしていきます。
その職員の人が朝出勤すると、今まで見たこともないような笑顔出駆け寄り、「ひまわり咲いたよ‼」って言ってくれたそうです。
その後も、ひまわりの種を一生懸命に収穫して、福島に届けてくださいます。
それまで生きる希望も見つけられず、ただただ死にたいと口にしていたAさんは、このひまわりがきっかけとなり、今では「ひまわりはまだ? 送った種は届いたのかな?」って、少しづつ前向きに変わられたそうです。
発表でその職員の方がおっしゃってくれた言葉が印象的でした。
「この福島ひまわり里親プロジェクトは、ひまわりの種を通した、心のセラピーです」
人の心はちょっとした事で、壊れてしまいます。それでも、ほんの小さな種のひと粒が、壊れた心を包んでくれて、癒やしてくれるんですね!
僕はこのプロジェクトを、これからも本気で応援していこうと思います。
昨日はありがとうございましたm(_ _)m
NPO法人 チームふくしま
福島ひまわり里親プロジェクト
042-563-7472
https://www.sunflower-fukushima.com/