「孫の代の仕事をしています」

皆さんは自分のお仕事をしている時、どんな気持ちで仕事をしていますか?
「コレをやり終えれば、〇〇円になるぞ」
「一所懸命やることでお客様を幸せにできるぞ」
「これで私の評価が上がるな」
「この作業で日本が、いや世界が変わっちゃうかも〜」
色々とそのお仕事の種類や、やる内容でも変わるのかもしれないですよね。
実は先日連れてって頂いた、盆栽を売らない盆栽屋さん『ぼんさいや あべ』さんで衝撃的な事を教わりました。
ぼんさいや あべさんは、初代倉吉さんと言う方が始められたのですが、元々皇居での剪定もしていた凄腕の盆栽作家でした。
昭和初期、倉吉さんはこれから世の中が安定に向かい、人々の暮らしにも余裕ができ、趣味の時間も出来て盆栽ブームを迎えるに違いないと思い、福島で“ぼんさいや あべ”を始めます。
倉吉さんの思った通りブームが来るのですが、ここで倉吉さんが、あることを危惧していました。
それまでの盆栽は山からある程度盆栽になりそうなものを選んで根こそぎ採ってきたものから作るのが主流です。
ブームになって盆栽が流行れば流行るほど、山は荒れ自然が壊れていく、何十年後にはこの山には五葉松がなくなってしまうんじゃないかと……。
そこで倉吉さんは、吾妻山の五葉松の種を頂き、種から育てると言う方法を考えたのです。ある意味、これは時間もかかるし手間もかかります。それでも自分の庭に種から五葉松を育て始めます。そしてその技術を惜しみなく地域の人達に広め、地域には沢山の盆栽屋さんが生まれたのです。
そして今は、初代から三代目と続く盆栽やさんになりました。現在では世界中から、初代倉吉さんから継承された五葉松の盆栽を視察しに多くの人が訪れます。休みの日には、観光バスが何台も来るほどだそうです。
中には、大金持ちの人達が、紙袋に札束を沢山忍ばせ、ここにある金であべさんの盆栽を譲って欲しいと懇願される人達も後を立たないそうです。
しかし、ここにあるのは先代が心を込めて手間暇惜しまず手をかけて育て、譲り受けたものなので、一切お譲りすることはできませんと断ってしまうそうです。
ではなぜ世界中の人達を魅了し続けるのか?
盆栽は基本的に三角や丸い整った形に作るのが一般的だそうです。しかし、ぼんさいや あべの盆栽が三代に渡って目指しているのは、裏にある吾妻山の山に溶け込めるほどに自然に近い姿の盆栽なのです。
二代目の健一さんが東京の盆栽の展示会に行った時、形よく綺麗に整えられ立ち並ぶ盆栽に衝撃を受けます。日本最高峰の展示会で見た盆栽の中で、自然を切り取ったような作風はぼんさいや あべのものだけでした。まだ若かった健一さんは、そこで見た綺麗に整えられた松を真似てハサミを入れ盆栽を作るのですが、その仕事ぶりを見た先代から激怒されるのです。
「盆栽を見て盆栽を作るな‼ 俺たちには恵まれた事に吾妻山がすぐ近くにある。こんなに恵まれた環境においてお前は何をしてるんだ」
盆栽は自然に学ぶもの。人の真似をして作るものではない。
ぼんさいや あべが目指すのは、樹齢何百年の吾妻山の松を人間の手をかけて鉢の上に表現する事。風雪にさらされ、雨に打たれ、自然の厳しい環境の中でたくましく育っていく。その姿に人は感動を覚えるわけです。
そんなスゴいぼんさいや あべさんに訪問させて頂いた時の事です。小さな小屋の中で、二代目の健一さんと、その奥様、そして三代目の大樹さんが、小さな鉢にまだ小さな松を植え、針金を巻いて居ました。
「香取さん、僕らは何をしてると思いますか?」
僕には何をしているのかわからず、「う〜ん」と黙っていると、三代目の大樹さんから言われたのは、
「今、僕がやっているこの仕事は、孫の代の仕事なんですよ」と笑顔でおっしゃったんです。
一瞬意味がわからなかったのですが、よくよく考えてみると、なるほどぉと感心してしまいました。
あべさんの盆栽は、種から育てるんです。今、目の前で鉢に植えられている小さな松ですが、そこまでに育つのに少なくて3年、長くて5年かかっているわけです。
それが大きく盆栽として姿を表すのには、40年、50年先になるわけです。だから今やっているのは、孫の代に繋がる為の仕事だったんです。
僕はそれを聞いて、自分の仕事に当てはめてみました。
今やらせて頂いている講演は、孫の代に繋がるように本気でやれているのか? 孫の代に繋がる事を考えてセミナーをしているのか?
もしそうだとしたら、もっとやり方があるんじゃないか? もっとぶっ倒れるぐらい一生懸命にやれるんじゃないか?
振り返ると、僕は目の前の事をただただこなしているだけだったんじゃないかと深く反省しました。
自分の孫の代に繋がる仕事。
そんな風に思って本気で仕事をしていこうと決めました。
皆さんのお仕事は、孫の代のお仕事になっていますか?
伝統の伝承、ホントにすごいと思いました‼