Daily Archives: 2019年1月11日

「スベらない話ぃ〜‼」

もう何年も前のことなんですけどねぇ。
大阪に講演に呼んで頂いたんですが、その日も飛行機で羽田空港から大阪伊丹空港へ朝イチの飛行機で向かってたんです。
出発時間のギリギリまでタバコを吸って、搭乗ゲートへ向かうと、僕の数人前に大きな大きな背中が目に飛び込んできました。
やっぱりスゲェ人ってのは後ろから見てもオーラがあるもんですね〜。その大きな背中は、僕が小さい頃から大ファンだったあの人の背中。背中からでも誰なのか俺にはわかる‼
後ろからですが、ダークなスーツの首の所に、真っ赤なスカーフ……。そうです、元気ですかぁ? でお馴染みのアントニオ猪木師匠ではないですかっ‼
もう、この時点で見た目はオッサン、心は子供の香取くんですよ(笑)
憧れのあの人と一緒の飛行機に乗れる。
同じ空気を吸える。
ホントに出番をくれたてんてんに感謝ぁぁぁ〜。鼻血が出そうなのをこらえて搭乗しました。
猪木師匠は、もちろんスーパーシート。僕はエコノミー。だけど、やっぱり僕も持ってるんですね〜。なんと、取っていただいた席は、スーパーシートの真後ろのエコノミー最前列‼
僕は興奮が周りの人にバレないように、猪木師匠が座る席を確認、猪木師匠は窓側の前から2列目、おつきの人が通路側、さすがに闘魂ビンタは機内では無理だし、サインを貰おうにも、色紙なんて無いし……。それでも握手ぐらいはなんとかしてもらえるんじゃないかと思いながら、後はアプローチするタイミングをどうしようかと考えながら座席に座りシートベルト着用の合図。
『う〜ん、滑走路に向かってる今、席を立てば、直ぐにCAさんに止められるだろうし、水平飛行になって、ベルト着用サインが消灯したら、すぐさまスーパーシートとエコノミーの間にカーテンを閉められ進入禁止……。
そうかと言って、飛行機が大阪に到着すれば、前に座ってるスーパーシートのお客様から出ていき、きっと追っかけて行っても他のファンに囲まれて、握手なんてしてもらえないだろうし……。』
そんなことを考えてる間に、飛行機は滑走路を全速力で走り出し、そのまま上昇〜‼
『うぉぉぉ〜どうする香取ぃ〜。考えろ考えろ〜』
そしてここで腹を決めました。
水平飛行になり、ベルト着用サインが消灯したと同時に席を立ち、トイレに行くふりをしながら、カーテンの先に行き、トイレから出てくる時に、たまたま猪木さんを見つけた感じでアプローチできれば……。よし、これしか他に方法は無いと言い聞かせ、いざ実行‼
ベルト着用サインがポンっと言う音ともに消灯するやいなや席を立ち、カーテンで仕切られる前になんとか前方のトイレへダッシュ‼
すぐさま前方からCAさんが
「お客様ぁぁぁ〜」
「すいません間に合わないんです〜」
と言いながら、横目で猪木師匠の座席の位置と、様子を伺いながらも、なんとかトイレに駆け込み第一関門突破‼
トイレで息を整えながら、さっき横目で確認した猪木師匠を思い出します。座席の位置も大丈夫、寝てなかったし、ここから自分の席に帰りながら、アレって感じで……頭の中のシュミレーションはOK。
いざ、トイレの扉を開けて、通路を進みシュミレーション通りに、アレって猪木師匠に気づいたフリ。
しかしここで、僕が気づいた事を察したおつきの人が警戒。ヤバイと思いながらも勇気を出して
「あっあの、いっ 猪木さんですよね?」
すぐさまお付きの人が俺の事を制してきましたが、ココで引き下がるわけには行かないと
「自分、小学生の頃から大ファンで、握手してもらえませんか?」
「すみませんね、今はちょっと」
お付きの人が制してくるんですが、僕の熱意が伝わったのか、猪木師匠自ら
「あっいいよいいよ」と手を出してくれるではありませんかぁぁぁ〜。
「ありがとうございます」
と言って手を握った瞬間、自分も嬉しさと緊張と、テンパったんでしょうね。聞かれてもないのに。
「あっあの……元気…ですよ」
近くにいる他のお客さんが思わず爆笑。
お付きの人も飲み物を吹き出しそうになってました(涙)
でもさすが師匠です。大きく笑って力強く僕の手を握り。
「はははっ、元気ですか(笑)」
僕は顔を真っ赤にして、頭を下げて自分の席に戻りました(笑)

「文化の輸出」

日本にディズニーランドがオープンする前に、アメリカではどんな準備がされていたでしょう?
1974年に日本へディズニーランドを誘致しようと本格的に動き始めたこのプロジェクトですから、当時のアメリカ国民の多くが、日本に対してのイメージは、侍、芸者、と言ったイメージも強くあるような時代、日本の事は知らない事だらけ……。
当然、どうしたらいいのか、色々な議論がかわされていたそうです。
ディズニーランドを違う国で初めてオープンさせるために、本国アメリカと変わらず、来場されたゲストに最幸の思い出をプレゼントするには、何をどう伝えるのがいいのか、アプローチは何から始めればいいのか、しかも働くのは自社のキャストではなく日本の会社で採用された日本人たち、ディズニー流を完璧にコピーしてもらう為にはどうするべきか……などなど試行錯誤がされていたそうです。
そんな中、チャックさんが言っていたのは、『我々は日本に、ただ単にディズニーランドと言うハードを創る為に行くのではない。我々は、日本にディズニーと言う文科を輸出するだ』と言ったそうです。
そして、日本へトレーナーとして連れて行くのは、ディズニーのスピリットを正しく理解し、それを実践できるキャストでなければならない。その為には、パートタイム、フルタイム関係なく、ふさわしい人材をトレーナーとして派遣しようと人選をしていました。
そこに抜擢されたのが、当時また大学生であったパートタイマーのデイブさんだったそうです。
デイブさんはチャックさんから、日本にカストーディアルのトレーナーとして、一緒に行かないかと話を頂いた時、そこまで長く日本に行くことは出来ないと断ったそうです。
「チャックさん、トレーナーとして日本に行けるのはすごく嬉しいですが、そこまで長い時間行くことになると、大学での単位が足りなくなるので難しいです。それに、僕はパートタイマーだし、僕よりも相応しい人がいっぱいいるじゃないですか?」
「でもねこれは大切なプロジェクトだからデイブ、君が必要なんだよ。君じゃなくちゃだめなんだよ。
よし、わかった。そしたらこうしよう、今回のプロジェクトに参加することが単位として認められればいいんだよね。」
と言って、デイブさんが通っている大学に『これはただの仕事ではなく、国家プロジェクトと変わらない』と説得し、デイブさんの単位として認めさせたそうです。
そしてそのデイブさんが、内藤さんたちのトレーナーをする事に。ずいぶんと若い人だなと思っていたのは、その為だったそうです。
そして、グランドオープン直後の朝、デイブさんとパークで一緒にお掃除をしていると、オープンして間もないレストランのテープルで、紙を広げて椅子に座りながら、アメリカ人トレーナーが日本人のキャストに何かレクチャーをしている二人を見つけます。デイブさんは、直ぐにそのアメリカ人トレーナーの元に向かい真剣な表情で何か話すと、そのアメリカ人トレーナーが苦笑いをしながら、ソーリーソーリーと言って、日本人のキャストを連れて、バックステージに消えて行きました。
戻って着たデイブさんに通訳を通して
「デイブさん、今何話してたんですか?」
すると、デイブさんは
「バットショー‼ 君たちには悪いお手本を見せてしまって申し訳ない。あれはバットショーだったから、注意したんだよ」
と、答えたそうです。
一瞬何がバットショーなのか理解できてないのがわかると、丁寧に説明してくれたそうです。
「Mr内藤。
もう、オープンしていてゲストが居るのに、オンステージのテープルと椅子に座って、何か話をしたりするはバットショーだと思わないか?
ディズニーではNOなんだ‼
僕らが提供するべきショーの中ではしてはいけない事だったんだよ。だから、バットショーだと伝えに行ったんだ。
実は僕らアメリカ人達が、トレーナーとして選ばれて、最初にやったのは本国ディズニーランドでの僕らの立ち振る舞いについて、その行動を全て洗い出したんだよ。
そして、それらの行動一つひとつを確認して、これはディズニーとしては無し、ありを決めて共有していたんだよ。
僕らはディズニーの文科を輸出してるからね」
すでに、アメリカではディズーランドがオーブンしてしばらく時間が経ち、悪い習慣もあったのでしょう。だからこそ、悪い行動はなしにして、本当にディズニーとして、どう行動すべきなのかを決めて、それを実践していこうと決めたんだそうです。
そして当時大学生だったデイブさんが、ひとまわりも歳上のマージャーにでも、きちんと注意できるのも凄いし、注意された側も素直に聞いて直していく事も凄いなぁと思いました。
これが本当のチームなんですよね‼