Monthly Archives: 2月 2019

「記憶力……‼」

昨日今日と、リゾートトラストさんの芦屋ベイコートクラブで、従業員の皆さんへの勉強会でした。
どの会も、現場の従業員の方々がメインなので、とっても真剣に聞いて下さり、盛り上がっていただいて、ほんとに嬉しかったです。
そんな中、最終回を終えて、みんなに見送ってもらいながらタクシーのところへ行くと、一人の若い女性スタッフが声をかけてくれたんです。
「香取さん、私実は小学校の時に、姫路で香取さんの講演聞いてるんですっ‼」
「ブハァっ‼」
思わず、口の中に入ってたフリスクを吹きましました(笑)
「マジで⁉」
「あっでも覚えてないですよね。もう、10年以上前のことだし」
キーワード“姫路”、“小学生”……。
この瞬間、脳みそがまたフル回転するですね。そして、その時のことが鮮明に蘇ります。
「わかった、小学生の子供達が将来の夢を発表する会だよね。姫路城の目の前の会場で、これから姫路城が改修工事になるからしばらく見れなくなりますよって、担当の人に言われたよ。
小学生の男の子の家が、木こりかなんかで、お母さんが他の人ともう国産の木材を使った住宅が建てられなくなってきて、安い外国産の木材ばかりになって、もう私の所もお父さんの仕事が、なくなっちゃうわよね。って話を聞いて、だから僕はたくさん勉強して、将来建築士になって、国産の木材だけを使った日本家屋をたくさん建てて、お父さんの仕事を助けるのが夢なんです。って発表したよ」
「あぁ〜そうです。私生徒会だったので、学校代表であの会場で客席から、香取さんの講演も夢の発表も聞きましたよ。覚えてるんですね〜(驚)」
僕が思い出して、ブワーって話したのを周りに見送りに来てくれた従業員のみんなに、よく覚えていますね〜と、一同関心とちょっと引いてました(笑)
そうなんです。多分僕は得意体質なのかもしれないんですが、めっちゃ記憶力がいいんですよね。しかもそれは活字としてではなく、全てを映像のようにして思い出し、その時にあの人がどんな表情で、何を言ったかまで全部覚えているんです。自分でも怖いときがあるくらいに、全く忘れないんですよね。
みんなからはスゴイですねって言われるんですが、実は忘れられないが為に、もの凄く苦しいこともあるんですけどね(笑)
でも、今日はその記憶力のおかげで、当時小学生だったスタッフと蘇った記憶で盛り上がれました。
最後に、その女性スタッフから、あの時お話を聞いたのが蘇りまましたし、先生はあの時と変わらずパワフルで、今日もあの時よりパワフルだったですよ。なんて嬉しいですねぇ〜。
最初に本を出版させていただいたのが、2002年、そこから講演のご依頼を頂いて、もうすぐ17年になるんですよね〜。
そりゃぁ、当時小学生の子たちが大人になるわけで、ここまで長くやらせて頂いていることに感謝です。
ほんとありがとうございましたm(_ _)m
これからも、パワフルに行かないとですね‼

「現代版組踊‐肝高の阿麻和利とは?」

昨日沖縄から帰って来ました〜。
この3泊4日のトリップはいつものサーフィンがメインのサーフトリップ……ではなく、志匠鬼澤さんから10年間誘われ続けて(鬼澤さんごめんなさい)きた、肝高の阿麻和利の舞台を観に行くことがメインの(笑)トリップだったんです。
先ずはどんな舞台なのか、舞台が作られる事になったバックストーリーをお話します。
僕が聞いた話なので、ちょっとズレてたりする所はご容赦下さいね。
皆さんがよくご存知の沖縄本島には首里城がありますよね、昔の沖縄は日本(大和)の一部ではなく、琉球王国と言う独立した国だったわけで、当然琉球には琉球の歴史があるわけです。
沖縄の子供達は琉球王国の歴史についても、小学校の社会の時間に教わるんだそうです。
歴史はいつでも争いに勝って統治した側からの歴史感が正なわけです。だから負けた側は賊となってしまうのは仕方のないことですが、そこには子孫もいるわけです。
それが舞台を始めるきっかけとなるのですが、この賊として教わった地区が勝連(現在のうるま市)だそうです。今まではうるま市で生まれて育った子供達は、自分の先祖は悪い人だとなり、周りからもそう見られ、なかなか自分の生まれたこの場所に、生まれた事に自信を持てなかったそうです。
ところが新しい史実が少しづつ発見され、相手側から見た史実で教わることとの違いがわかるようになったそうです。それは勝連側からみると、勝連のリーダーは賊ではなく、むしろ英雄だったんじゃないかと。
もっとうるま市の子供達に自信を持ってもらいたいと、当時の教育長から平田大一さんにお願いされ、この平田さんがうるま市の中高生を集めて、現代版の舞台を演じることで、演じる子供たちにも、またそれを観た大人や観客達にも意識を変えられるんじゃないかと、1999年に阿麻和利の舞台がスタートしたそうです。
しかし最初の稽古に集まったのはたった7人……、それでも諦めずに動いた結果、3ヶ月後の舞台には、150人の子供達が舞台に上がることになるのです‼
ホントは1回限りの舞台としてスタートしたのですが、終わってみると参加を希望する子供達がどんどん増え、更には舞台での感動を体験した子供たちも観客達も、この街に生まれたことへの誇りを育み、子供達は輝きを放つことに‼
遠く500年前の賊とされていた阿麻和利は、志高き英雄として生まれ変わり、その意志を受け継ぐ子供たちを通して、今では究極の人づくりを実現した軌跡の舞台となり、今年で20周年を迎えることになったそうです。
そして僕が一番感動して涙腺が崩壊してしまったのは、舞台を演じるのが全くの素人からスタートした地元中高生達だと言う事。舞台の音楽の演奏をするのも地元中高生の生バンドなのです。
演技に精通する人たちから見れば、彼らの演技や表現力には足りないところがあるのかも知れません……。だけど、そこには誰一人手を抜かずに一生懸命に演じる子供達が輝いているんです。
僕はディズニーで“毎日が初演”何千何万回目のボートでも、初めて立ったあの時の、一生懸命だった初舞台でなければならないと教わりましたし、自分でも実践しているつもりでした……。でもそれは彼らを目の前にした時に、ぶっ倒れるぐらいの本気ではなかったです……。それは時間と共に習得した、小手先の技術でその場しのぎの自分だったんじゃないかと……。
そしたら、もう涙が止めどなく流れ、号泣してる自分にあいました。もっと本気になれるはず、もっと一生懸命できるはずなのに……。
彼らの合言葉は『一生懸命はカッコいい』だそうです。だから、主役を演じている子供達だけではなく、客席の横で踊り、歌い舞台には上がらない役の子供達が、まるで主役そのものの演技で迫って来るんです。
大人が変われば、子供が変わり未来が変わる。確かにそうだと思います。でも、反対に子供たちの純粋な本気が、僕ら大人に迫ってきて、大人の僕らがスイッチ入るんです。
ちなみに、この阿麻和利の組踊が開始されて300年続いてるそうですが、その踊りは阿麻和利が悪者として今でも踊られているそうです。それでも、この現代版の組踊が、地元うるま市を元気にしていることは紛れもない事実です。
地元で毎年開催される公演では、中高生のやる舞台なのに、チケット販売開始から30分でソールドアウトになることがあったそうです‼
そして今回“現代版肝高の阿麻和利”の舞台が20周年を記念して、2日間で6千名を動員した東京公演から10年ぶりに、8月10日茨城県小美玉市四季文化会館みの〜れと、8月12日東京国立劇場大劇場で行われることが決定しました。
僕はこの舞台を応援しようと決めました。
多くの人に知ってもらいたいので、東京公演が行われる8月の前に、地元うるま市で行われる6月15日16日行われる公演を観に行くツアーをしたいと思います。
是非皆さん、スケジュールを空けて、皆で観に行きましょう。
以下は、舞台のあらすじです。
〜現代版 組踊 肝高の阿麻和利〜
学校で噂になっている「幻の祭り」の真偽を確かめるため、2人の子供たちが真夜中の勝連城跡に忍び込んだ。突然の雷鳴とともに、肝高神が現れる。肝高神は幻の村祭りを執り行っていた、長者の大主と呼ばれる白ひげの老人に巻物を手渡す。大主はその巻物を子ども達に手渡し、それを読み解くように頼む。そこには、「阿麻和利の乱」の真実が描かれていた。
阿麻和利は草木や波、鳥の精などの不思議な力に導かれるようにして、勝連の浜にたどり着く。そこで阿麻和利は、悪い按司である望月に反乱を起こそうと計画している、3人の青年に出会った。
阿麻和利は彼らの手助けをすることを決断し、望月追放のため、ある作戦をたてた。
青年たちは、非暴力の無血革命を阿麻和利と共に成功させる。阿麻和利は勝連の人々に慕われ、勝連の新しい按司となる。阿麻和利は、10代目城主として勝連を豊かにし、繁栄へと導く。
琉球王国は建国されたものの、その支配体制は未だに安定したものではなかった。読谷按司であり、王(首里)の義父にあたる護佐丸は、王と並ぶほどの武力と財力を持っていた。王の腹心の部下である金丸は、護佐丸が琉球王国にとっての脅威であると考え、阿麻和利を利用して護佐丸を討たせようと王に進言する。金丸の計画は次のようなものだった。王の実の娘、百十踏楊を阿麻和利に嫁がせる。この結婚により、阿麻和利は疑いを持たずに金丸の計画通り動くこととなる。次に阿麻和利が、王国に謀反を企んでいるという為の容疑をかけられた護佐丸を討つ。そして最後に、護佐丸の遺児に扮した旅芸人が阿麻和利を討つ。
気乗りはしなかったが、阿麻和利は王命に従い護佐丸を討った。勝ち戦とはいえ、義理の祖父を殺めたことで、阿麻和利は喜べなかった。阿麻和利は祝賀会の席で深酒をしたところを、護佐丸の遺児に扮した旅芸人に襲撃される。阿麻和利は深手を負うが、一方では王国軍が勝連城に迫っていた。阿麻和利の部下たちは皆、徹底抗戦のための準備をしていたが、阿麻和利は無駄に命を捨てるなという最後の命令を下す。勝連の人々に自分の夢を託し、阿麻和利の魂は空へと昇って行った。

スベらない話〜「覆面レスラー」

僕の小中学生時代、将来の夢はプロレスラーになることでした(笑)。とにかく小学校の頃観ていたアニメは、タイガーマスクとあしたのジョー、大好きな映画はジャッキー・チェンに、少林寺、ブルース・リー。戦うことが大好きな小学生でしたから、金曜日の夜になるとテレビの前で、新日本プロレスを観て、土曜日の夕方になると全日本プロレスを観て、たまにテレ東でやってた国際プロレスに熱狂していたプロレス信者でした。
当然、小学校の休み時間は、教室、廊下、校庭、体育館、至る所でプロレスごっこ。
家に帰れば、友達の家に行き、友達の兄ちゃんが読んでるプロレス雑誌を皆で見ては、誰が誰より強い。いやいやそいつより、こっちの外人レスラーのが絶対に強いとか、毎日そんなことを繰り返してました。
そんな小学4年生のある日。
キーン コーン♪ カーン コーン♪
「よっしゃ〜、休み時間だ〜‼
お前ら昨日のタイトルマッチの続きやろうぜ〜‼」
「イイね〜。ギョウザ〜(僕の昔のあだ名)、今日は絶対ぇ負けねえかんな‼」
「おい、ちょっと待ってくれ、今日はお前らに見せたいもんがあんだよ‼」
そう言ったのは、学年イチプロレスが大好きで、プロレスの事なら何でも知ってるフクちゃんでした。
「何だよフクちゃん、休み時間終わっちゃうじゃねえかよ」
「まあ、待てよ。
俺なこないだから、家で作ってたもんが出来上がったんだよ。お前らに見せてやるよ‼」
フクちゃんが、そう言ってランドセルから出してきたもんに、一同言葉を失います。
「ジャーん‼」
「うぉぉぉぉぉ〜。
コレ、チャンピオンベルトじゃねえかよ‼」
フクちゃんがランドセルから取り出したのは、工作用紙と折り紙やアルミホイルを使って作った憧れのチャンピオンの証、チャンピオンベルトだったんです。
「やっぱ、フクちゃんスゲぇ〜。
俺もベルト作りてぇ〜な。フクちゃん作り方教えてくれよ〜」
「俺も‼」
「俺も‼」
「わかったよ、そしたら今日学校終わったら、俺んち集合な‼」
「よっしゃー‼」
こんな感じで、商店街の文房具屋で工作用紙や折り紙や必要なもんを買って、フクちゃんの家でチャンピオンベルト作りが始まったりしてました。
ホント、小学生の男子はアホですね〜(笑)
チャンピオンベルトが出来上がると、今度は覆面を作ろうって事になるんですが、母ちゃんのストッキングをもらって穴あけて、そこにマジックで模様を描いて……。
しかしそこは小4の男子、頭の中のイメージと、出来上がった実物は雲泥の差……。
被ってみたら、ドリフターズのコントのように、銀行強盗役の志村けんそのもの(笑)
皆で大笑いでした。
そしてお正月が過ぎた頃、それぞれがもらったお年玉を持って、フクちゃんが調べてくれた、プロレスファンも納得の覆面ショップへ
僕を含めて6人の小4男子が、チャリンコを何時間も漕いでフクちゃんの調べてくれた覆面ショップに無事辿り着いたのです。
予想に反して、結構値段の高い覆面。お金持ちの柿田くんはお年玉に物を言わせて一番高いタイガーマスク。貧乏だった僕が買えたのは、100の顔を持つ男と言われ、チャンピオンにもなった事のある、ミルマスカラス……ではなく、その弟、ドスカラスと言う、ちょっと地味な覆面でした。
それでも、6人がそれぞれお年玉で買った、覆面を被って自転車を漕いで無事にフクちゃんちまで帰宅。途中、何人もの人が振り向き、すれ違う車の人達は間違いなく二度見、信号待ちのお婆ちゃんからは、「あらまっ」ってびっくりされながらも、気分はすっかり覆面レスラーそのものです(笑)
そして、フクちゃんの家で僕らは誓いを立てました。
「いいか、もう俺たちはもうただの小学生じゃねえんだ」
「そうだよ、俺たちは覆面レスラーだもんな」
「そう、これから先は、何があっても誰にも、素顔を見られてはいけないんだぞ」
「おう、覆面を取っていいのは、風呂に入る時と寝るときだけだかんな‼」
「よし、わかった。そしたら明日の始業式からは、学校でも覆面レスラーとして生きてこう‼」
「おう‼」
とにかく今考えるとアホなんですが、当時は真面目に覆面レスラーになっているので、冬休みが空けた、翌日の登校日初日から覆面を被って登校することに‼
当然、朝イチの班登校の集合場所では、注目の的に。
上級生からは
「香取っ何やってんだ 覆面取れっ‼」
って言われたり、下級生からは
「あっ、マスカラスの弟だ‼」
「香取くん、なんでお面つけてんの?」
とか……。
それでも前日に仲間と交わした約束を守るため、小さな声で
「オレ メキシコ キタ ニホンゴワカラナイ」
とにかく皆大騒ぎでした……。
それでも、覆面の上に校帽をかぶり、ランドセルを背負って登校班の列に並び、下を向きつつ登校する当時4年生の香取少年(笑)
途中で他の仲間と通学路で一緒になると、6人全員が同じように覆面の上から校帽をかぶり登校してきた事に、やっぱり俺たちは覆面レスラーだなと、言葉を交わさずとも、目と目で通じ合ってました(笑)
そして、教室に入るなり、クラス中から6人が注目の的に。
「えっ何だよお前ら‼」
「ねぇねぇ、フクだよな、覆面取れよ」
「香取ぃ〜、マーボも何やってんだよ」
「いや、俺たちはメキシコから来た。
香取でもマーボでもない‼ 文句があるやつはかかってこい。いつ何時、誰の挑戦でも受ける‼」
クラス中が「……」です。
それでも、ココまで約束を守って来た6人の結束は更に強いものに。
「いいか、俺たちは覆面レスラーだ。昨日約束した通り、素顔も正体もバレてはいけないんだぞ。どんな事があっても貫くぞ‼ それが闘魂だぞ‼」
「オウっ‼」
キーン コーン♪ カーン コーン♪
〜ガラガラ〜
「よ〜し、皆おはよう〜
始めるから、席につけ〜‼」
「ハイ、じゃぁ〜日直‼
うん、ちょっと待て、香取、中里、田中、それから、岡村、山田、柿田、お前ら何、かぶってんだっ‼
その覆面はずせ‼」
「……」
「たっく、はずせって言ってんだろ‼」
「うわっちょっと、俺たちはメキシコから……うわっ素顔が…」
「ほら、お前も外せって‼」
「…先生、やめてください」
「香取、お前も外すんだよ、ほらっ」
「いや…ワタシハ メキシコ カラキタ ……」
「何をゴチャゴチャ言ってんだ‼」
いつ何時、誰の挑戦でも受ける……。
僕ら6人の覆面レスラーの夢は先生が現れてわずか数十秒で終わったのでした……。
その日、先生に没収された、お年玉を全部使って買った大切な覆面を返してもらえたのは、5年生になってからでした……(笑)
ちなみに、3学期最初の学級通信には、学校に関係ないものを持ち込ませないように。そして、覆面登校禁止と書かれていました。
あっ、フクちゃんだけは、腰に巻いていた手作りのチャンピオンベルトも一緒に没収されてましたが(笑)