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「文化の輸出」

日本にディズニーランドがオープンする前に、アメリカではどんな準備がされていたでしょう?
1974年に日本へディズニーランドを誘致しようと本格的に動き始めたこのプロジェクトですから、当時のアメリカ国民の多くが、日本に対してのイメージは、侍、芸者、と言ったイメージも強くあるような時代、日本の事は知らない事だらけ……。
当然、どうしたらいいのか、色々な議論がかわされていたそうです。
ディズニーランドを違う国で初めてオープンさせるために、本国アメリカと変わらず、来場されたゲストに最幸の思い出をプレゼントするには、何をどう伝えるのがいいのか、アプローチは何から始めればいいのか、しかも働くのは自社のキャストではなく日本の会社で採用された日本人たち、ディズニー流を完璧にコピーしてもらう為にはどうするべきか……などなど試行錯誤がされていたそうです。
そんな中、チャックさんが言っていたのは、『我々は日本に、ただ単にディズニーランドと言うハードを創る為に行くのではない。我々は、日本にディズニーと言う文科を輸出するだ』と言ったそうです。
そして、日本へトレーナーとして連れて行くのは、ディズニーのスピリットを正しく理解し、それを実践できるキャストでなければならない。その為には、パートタイム、フルタイム関係なく、ふさわしい人材をトレーナーとして派遣しようと人選をしていました。
そこに抜擢されたのが、当時また大学生であったパートタイマーのデイブさんだったそうです。
デイブさんはチャックさんから、日本にカストーディアルのトレーナーとして、一緒に行かないかと話を頂いた時、そこまで長く日本に行くことは出来ないと断ったそうです。
「チャックさん、トレーナーとして日本に行けるのはすごく嬉しいですが、そこまで長い時間行くことになると、大学での単位が足りなくなるので難しいです。それに、僕はパートタイマーだし、僕よりも相応しい人がいっぱいいるじゃないですか?」
「でもねこれは大切なプロジェクトだからデイブ、君が必要なんだよ。君じゃなくちゃだめなんだよ。
よし、わかった。そしたらこうしよう、今回のプロジェクトに参加することが単位として認められればいいんだよね。」
と言って、デイブさんが通っている大学に『これはただの仕事ではなく、国家プロジェクトと変わらない』と説得し、デイブさんの単位として認めさせたそうです。
そしてそのデイブさんが、内藤さんたちのトレーナーをする事に。ずいぶんと若い人だなと思っていたのは、その為だったそうです。
そして、グランドオープン直後の朝、デイブさんとパークで一緒にお掃除をしていると、オープンして間もないレストランのテープルで、紙を広げて椅子に座りながら、アメリカ人トレーナーが日本人のキャストに何かレクチャーをしている二人を見つけます。デイブさんは、直ぐにそのアメリカ人トレーナーの元に向かい真剣な表情で何か話すと、そのアメリカ人トレーナーが苦笑いをしながら、ソーリーソーリーと言って、日本人のキャストを連れて、バックステージに消えて行きました。
戻って着たデイブさんに通訳を通して
「デイブさん、今何話してたんですか?」
すると、デイブさんは
「バットショー‼ 君たちには悪いお手本を見せてしまって申し訳ない。あれはバットショーだったから、注意したんだよ」
と、答えたそうです。
一瞬何がバットショーなのか理解できてないのがわかると、丁寧に説明してくれたそうです。
「Mr内藤。
もう、オープンしていてゲストが居るのに、オンステージのテープルと椅子に座って、何か話をしたりするはバットショーだと思わないか?
ディズニーではNOなんだ‼
僕らが提供するべきショーの中ではしてはいけない事だったんだよ。だから、バットショーだと伝えに行ったんだ。
実は僕らアメリカ人達が、トレーナーとして選ばれて、最初にやったのは本国ディズニーランドでの僕らの立ち振る舞いについて、その行動を全て洗い出したんだよ。
そして、それらの行動一つひとつを確認して、これはディズニーとしては無し、ありを決めて共有していたんだよ。
僕らはディズニーの文科を輸出してるからね」
すでに、アメリカではディズーランドがオーブンしてしばらく時間が経ち、悪い習慣もあったのでしょう。だからこそ、悪い行動はなしにして、本当にディズニーとして、どう行動すべきなのかを決めて、それを実践していこうと決めたんだそうです。
そして当時大学生だったデイブさんが、ひとまわりも歳上のマージャーにでも、きちんと注意できるのも凄いし、注意された側も素直に聞いて直していく事も凄いなぁと思いました。
これが本当のチームなんですよね‼