「現代版組踊‐肝高の阿麻和利とは?」

昨日沖縄から帰って来ました〜。
この3泊4日のトリップはいつものサーフィンがメインのサーフトリップ……ではなく、志匠鬼澤さんから10年間誘われ続けて(鬼澤さんごめんなさい)きた、肝高の阿麻和利の舞台を観に行くことがメインの(笑)トリップだったんです。
先ずはどんな舞台なのか、舞台が作られる事になったバックストーリーをお話します。
僕が聞いた話なので、ちょっとズレてたりする所はご容赦下さいね。
皆さんがよくご存知の沖縄本島には首里城がありますよね、昔の沖縄は日本(大和)の一部ではなく、琉球王国と言う独立した国だったわけで、当然琉球には琉球の歴史があるわけです。
沖縄の子供達は琉球王国の歴史についても、小学校の社会の時間に教わるんだそうです。
歴史はいつでも争いに勝って統治した側からの歴史感が正なわけです。だから負けた側は賊となってしまうのは仕方のないことですが、そこには子孫もいるわけです。
それが舞台を始めるきっかけとなるのですが、この賊として教わった地区が勝連(現在のうるま市)だそうです。今まではうるま市で生まれて育った子供達は、自分の先祖は悪い人だとなり、周りからもそう見られ、なかなか自分の生まれたこの場所に、生まれた事に自信を持てなかったそうです。
ところが新しい史実が少しづつ発見され、相手側から見た史実で教わることとの違いがわかるようになったそうです。それは勝連側からみると、勝連のリーダーは賊ではなく、むしろ英雄だったんじゃないかと。
もっとうるま市の子供達に自信を持ってもらいたいと、当時の教育長から平田大一さんにお願いされ、この平田さんがうるま市の中高生を集めて、現代版の舞台を演じることで、演じる子供たちにも、またそれを観た大人や観客達にも意識を変えられるんじゃないかと、1999年に阿麻和利の舞台がスタートしたそうです。
しかし最初の稽古に集まったのはたった7人……、それでも諦めずに動いた結果、3ヶ月後の舞台には、150人の子供達が舞台に上がることになるのです‼
ホントは1回限りの舞台としてスタートしたのですが、終わってみると参加を希望する子供達がどんどん増え、更には舞台での感動を体験した子供たちも観客達も、この街に生まれたことへの誇りを育み、子供達は輝きを放つことに‼
遠く500年前の賊とされていた阿麻和利は、志高き英雄として生まれ変わり、その意志を受け継ぐ子供たちを通して、今では究極の人づくりを実現した軌跡の舞台となり、今年で20周年を迎えることになったそうです。
そして僕が一番感動して涙腺が崩壊してしまったのは、舞台を演じるのが全くの素人からスタートした地元中高生達だと言う事。舞台の音楽の演奏をするのも地元中高生の生バンドなのです。
演技に精通する人たちから見れば、彼らの演技や表現力には足りないところがあるのかも知れません……。だけど、そこには誰一人手を抜かずに一生懸命に演じる子供達が輝いているんです。
僕はディズニーで“毎日が初演”何千何万回目のボートでも、初めて立ったあの時の、一生懸命だった初舞台でなければならないと教わりましたし、自分でも実践しているつもりでした……。でもそれは彼らを目の前にした時に、ぶっ倒れるぐらいの本気ではなかったです……。それは時間と共に習得した、小手先の技術でその場しのぎの自分だったんじゃないかと……。
そしたら、もう涙が止めどなく流れ、号泣してる自分にあいました。もっと本気になれるはず、もっと一生懸命できるはずなのに……。
彼らの合言葉は『一生懸命はカッコいい』だそうです。だから、主役を演じている子供達だけではなく、客席の横で踊り、歌い舞台には上がらない役の子供達が、まるで主役そのものの演技で迫って来るんです。
大人が変われば、子供が変わり未来が変わる。確かにそうだと思います。でも、反対に子供たちの純粋な本気が、僕ら大人に迫ってきて、大人の僕らがスイッチ入るんです。
ちなみに、この阿麻和利の組踊が開始されて300年続いてるそうですが、その踊りは阿麻和利が悪者として今でも踊られているそうです。それでも、この現代版の組踊が、地元うるま市を元気にしていることは紛れもない事実です。
地元で毎年開催される公演では、中高生のやる舞台なのに、チケット販売開始から30分でソールドアウトになることがあったそうです‼
そして今回“現代版肝高の阿麻和利”の舞台が20周年を記念して、2日間で6千名を動員した東京公演から10年ぶりに、8月10日茨城県小美玉市四季文化会館みの〜れと、8月12日東京国立劇場大劇場で行われることが決定しました。
僕はこの舞台を応援しようと決めました。
多くの人に知ってもらいたいので、東京公演が行われる8月の前に、地元うるま市で行われる6月15日16日行われる公演を観に行くツアーをしたいと思います。
是非皆さん、スケジュールを空けて、皆で観に行きましょう。
以下は、舞台のあらすじです。
〜現代版 組踊 肝高の阿麻和利〜
学校で噂になっている「幻の祭り」の真偽を確かめるため、2人の子供たちが真夜中の勝連城跡に忍び込んだ。突然の雷鳴とともに、肝高神が現れる。肝高神は幻の村祭りを執り行っていた、長者の大主と呼ばれる白ひげの老人に巻物を手渡す。大主はその巻物を子ども達に手渡し、それを読み解くように頼む。そこには、「阿麻和利の乱」の真実が描かれていた。
阿麻和利は草木や波、鳥の精などの不思議な力に導かれるようにして、勝連の浜にたどり着く。そこで阿麻和利は、悪い按司である望月に反乱を起こそうと計画している、3人の青年に出会った。
阿麻和利は彼らの手助けをすることを決断し、望月追放のため、ある作戦をたてた。
青年たちは、非暴力の無血革命を阿麻和利と共に成功させる。阿麻和利は勝連の人々に慕われ、勝連の新しい按司となる。阿麻和利は、10代目城主として勝連を豊かにし、繁栄へと導く。
琉球王国は建国されたものの、その支配体制は未だに安定したものではなかった。読谷按司であり、王(首里)の義父にあたる護佐丸は、王と並ぶほどの武力と財力を持っていた。王の腹心の部下である金丸は、護佐丸が琉球王国にとっての脅威であると考え、阿麻和利を利用して護佐丸を討たせようと王に進言する。金丸の計画は次のようなものだった。王の実の娘、百十踏楊を阿麻和利に嫁がせる。この結婚により、阿麻和利は疑いを持たずに金丸の計画通り動くこととなる。次に阿麻和利が、王国に謀反を企んでいるという為の容疑をかけられた護佐丸を討つ。そして最後に、護佐丸の遺児に扮した旅芸人が阿麻和利を討つ。
気乗りはしなかったが、阿麻和利は王命に従い護佐丸を討った。勝ち戦とはいえ、義理の祖父を殺めたことで、阿麻和利は喜べなかった。阿麻和利は祝賀会の席で深酒をしたところを、護佐丸の遺児に扮した旅芸人に襲撃される。阿麻和利は深手を負うが、一方では王国軍が勝連城に迫っていた。阿麻和利の部下たちは皆、徹底抗戦のための準備をしていたが、阿麻和利は無駄に命を捨てるなという最後の命令を下す。勝連の人々に自分の夢を託し、阿麻和利の魂は空へと昇って行った。