「栗城…ゴメンな」

一昨日から、心の奥の奥が、何かモヤモヤです……。
14日の夜、NHKスペシャルで栗城の番組を観ました。そして、何度も何度も観ました……。
番組の中では、栗城の挑戦は何だったのか?
そして、何故栗城は死んでしまったのか?
今となっては最後の挑戦になってしまった去年のアタック前、俺は栗城とドリプラを盛り上げる為に、俺らコメンテーターで何かできる事はないかって、栗城本人から連絡がありました。
その時まで、栗城がドリプラにそんなにこだわりがあるなんて思ってなかったからスゲェ驚いたし、電話でドリプラは続けないと行けない、どんな事があっても続けるべき価値のある物なんですよって、スマホの充電が無くなるくらい、電話で熱く語るのが俺の中の栗城は、もっとクールでそんなに思い入れを待つなんて思ってなかったから……。
でも、番組中でも紹介されていた、去年彼が強くこだわっていた“否定という壁”を無くしたいって言う事は、挑戦すればするほど増してきたドリームキラーによる誹謗中傷、否定のコメントの数々……。反比例するように、応援コメントの減少……。
彼の中で、本当の辛かったから、ドリプラのように、相互に支援、応援し合う社会が理想だったのかなって思う。散々否定し続けられてきた彼だから、ドリプラを通して否定という壁を壊したかったのかもしれない……。
そんな中、エベレストへの挑戦がはじまった。番組では応援のコメントは多いときから比べると、3割に減ってしまってたと……。
そこに焦りもあったのかもしれない。
そんなことを考えると、当時の自分の後悔が蘇るんだよね。どこかで、彼の挑戦の傍観者になってたんだと思う……。
応援してるからって言いながら、どこかで無関心になっていた自分がいたんじゃないか……。お前の挑戦観てるよって、もっと自分が行動してたら、無関心って言う最大の恐怖を和らげられたんじゃないか……。
結局、栗城を応援してるとか言いながら、実は無関心になっていた自分が居て、だったら最初から応援してるなんて、軽々しく言うんじゃねえよって……。そんな言葉が俺の中でぐるぐる回ってる。
本当の勇気は、どんなに不安でも、世間の風あたりが強くても行動し続ける事なんだって教えてくれたんだと思う。
栗城は最後まで諦めないで、挑戦し続けて人生を終えました。俺も、思い通りにならなくて、うまく行かなくて……ただ考えるだけで、何も動かなくて……。
悩んでたって何も変わらないんだよって、栗城が俺の頭の上で叫んでる気がしました。
愛の反対は無関心。
どんだけ頭で考えた所で、行動しなければ何も変わらないんだよね。
栗城、ゴメンな。
俺、もっと動くからよ。
“否定という壁”
“無関心と言う悪魔の自分”
変えるよ。行動するからよ。